自分を省みること

 

「相手がこうしてくれない」

「わかってくれない」

という感情が面倒で面倒で仕方ない。だけれども、人に期待しない、と割り切ってしまうのは、簡単で大胆で、それでいてつまらない。

誰かと生きていくのは本当にめんどくさい。時間も体力もかかるくせして、結果として上手くいくかはわからないから。

 

人間の不完全なところを積極的に肯定していくのが、人文学なのだと先輩は言った。

失敗したり、すれ違ったり、上手くいかないことこそが、理論にできない人間の「らしいところ」なのだと。

たしかにそうだと思うけど。疲れているときにはやっぱり疲れるよな〜。

 

そういうときは一人になるのが一番得策。

それで、考えて考えて考えて考えて、考える。

 

ちなみに私は考えるのが好きだ。人の考えを知るのも好きだ。これは疲れるけども、やっぱり好きなのだ。言葉にするのはまだ練習中だけど。

 

イクラしよ〜

マインクラフトと愚痴

 

彼氏さんとのマインクラフトを始めた。彼のリクエストで。

 

やり方が全然わからないんだけど、「松明とツルハシを持って洞窟探検に行こう」とか「まずは家を作ろう」とか、積極的にリードしてくれている、、、

と、思いきや、私の意思は聞いてくれていない気がする。

「こっちに行きたいけど、あなたはどう?」とか「自分は洞窟探検に行きたいんだけど、一緒に行かない?」とか、聞いてくれてもいいのに。

 

こんなこと言ったらどうせ、「嫌って言わなかったじゃないか」とか「あなたはマイクラしたことないから、リードしてあげないといけないと思って…」とか言いそう。

挙げ句の果てには、「じゃあもう好きにしなよ!知らない!」と子供のように拗ねるだろう。

 

相手の意見を聞いて、自分の意見と擦り合わせて、合意形成をしていくという過程を踏めないんだよね。自分か相手か、合っているのはどちらか一方だという感じ。

 

性急に答えを出すことに固執していて、話し合うこと自体に意味はないと思っているかも。

議論は好きなんだろうけど、ディベートばかり。私が「選択肢が二つあったときに、どちらの方法も良い結果になることもあるし、どちらも失敗になることもあると思う」とか「どちらの選択肢のほうがよいか、私には判断できない」とか言うと、どうしてそんな曖昧なこと言うの?とちょっと消化不良みたいな顔をする。

 

しかも、それを「あなたは文系で私は理系だから…」という話に収斂させようとするときもあって、面倒くさい。

 

私は割と相対主義的な視点の持ち主で、大事なのは人間の意思だと思ってる。不完全で、物事のすべてが見えない状況において、それでも選択しなければならないとき、決断の決め手は「自分がどうしたいか」に他ならない。

 

でも彼はそう思ってないんだろうな。

 

ちと悲しい。

逆差別について

 

彼は、昨今の女性活躍推進法などにちょっとやりすぎ感を感じているらしい。

 

企業における雇用状況の開示が義務化される範囲が広くて、やりたくないのにやらされる女性・実力がないのに登用される女性が多いのではないか?と感じているみたい。

 

たしかに、形だけ整えても意味がないどころか、法律の名の下に、実力のある男性よりも実力のない女性が登用されてしまったら、意味がない。それが逆差別に見える、という彼の主張は一理あると私は感じた。

 

でも、同時に、彼がそんな不満を持っているとは思わなかったから、驚いた。

 

そもそも女性の活躍推進は、なぜ行われるようになったのか?

女性だけが活躍推進するのではなくて、目指しているのは、誰でも生きやすい社会だと、私は思う。

たとえば、女性は社会にもっと出てもいいし、男性は家庭にもっといてもいい。

ひとりひとりが、ジェンダーや、ディスアビリティーや、その属性にかかわらず、好きな生き方を選べる社会が幸福であるのではないかと思う。

その意味で、お金を稼ぎたいひとは稼げばいいけど、稼いでいることは偉いことではないと思う。ただお金を稼ぐ選択をしているか、していないか、その違いがあるだけだ。

 

人は人であることによってのみ、(属性や地位などにかかわらず、)皆平等だと思う。

 

うまく言葉にできずに、彼の気分を害してしまったので、後悔している。

彼氏さんとタピオカ

お久しぶりのはてなブログ

 

息も絶え絶えに文献を読んで、言葉をひねり出しながら論文を書いていた頃の、とても辛かった日々が少し残されていて思わず笑った。

あの時は本当に本当に本当に本当に毎日が大変だったなぁ。

 

あの日々が終わって、本当に良かった。私は無事に修士号を取得しました。

 

三年間かけて、私ができるようになったことは、他人から見たらそんなにすごいことじゃないのかもしれないけど、でもやっぱり一つの壁を超えた感じがした。

逃げずにやり遂げたことで、前を向けるようになった(以前より)と感じている。

 

何より、自分の意思がはっきり口に出せるようになった。それから、相手の意思により一層耳を傾けようという姿勢が身についた。

自分を許してあげよう。そして相手を許そう。そういう考えが大切であることを知った。

 

みんな違うからこそ良いのだということ。結果ではなく、大事なのはプロセスであること。

自分と他人はとても違うものであり、だからこそ、考えや行動が一緒になった瞬間の喜びや嬉しさがとても大きいんだということ。

その瞬間にまた出会いたいから、人と繋がっていたいんだということ。

本当に学びの多い時間だった。寂しくて辛くて泣きながら、でも少しずつ前に進むことを諦めずに応援してくれた、周りの人に本当に感謝しています。

 

話は変わるが、2ヶ月前からお付き合いしている人がいる。25にして、はじめての彼氏さん。

とても面白い人で、新しい発見がある。言い合いにもなるけど、今のところ充実している。

私と一緒にいてくれることがとても嬉しい。好きだと勇気を出して言ってくれたことが、心の底から嬉しかった。

 

彼氏さんはタピオカドリンクが好きで、ジアレイとTEA18に一緒に行きました。今度は是非、チャタイムに行きたい。

 

引きこもっていた2年前の私、こんな未来は想像できなかった。今は少しずつだけど、自分の足で歩いている感じがしています。

 

生きててよかった〜〜

支えてくれた周りの人たちに、本当に感謝。

自分と向き合うことって辛いね。1

 

自分の書いた過去記事を読みなおすことが嫌い。

文章が下手すぎる。面白くない。狙いすぎている。

 

なんだかんだ読者をイメージして書いているのが見え見え。

とらわれないようにという思いにとらわれすぎ。

結局誰にでも書ける文章ばっかり~~~。

 

・・・以前の自分なら、ここまで書いて、ブログを消して

またどこかで同じようなブログを開設して。

なかったことにして、同じことを繰り返していただろうね。

でもなんかそれはもう面倒だし、

別に面白い記事書けないからはてぶ書いちゃダメとかないし(笑)、

さらけ出してもいいかな!!!!

自分のこと隠したまま面白い記事を書く才能は私にはないけど

それはそれでいいかな!!!!

 

私は大学院生で、本を読むのがすき。

でも学校と論文はまったく上手くいっていなくて、

これからしばらく休学することになっています。

自分としては「いい子」で生きてきたつもりなんだけど、

いつの間にか(私の作り上げた)親の像に縛られていた。

何がしたいのか、何がすきなのか、何がきらいなのか、

何をして生きたいのか、どこで誰といたいのか、

自分のことがまったくよくわからないまま24歳になっちゃいました。

 

院に入ってから休学を決めるまでのこの一年10カ月は

毎日、地獄のようだった。

論文書かないといけない、

死にたい、消えたい、論文書けない、

みんなちゃんとできるのに私はできない、

新しい人と知り合うのが怖い、

先生もどうせ自分のこと見放してる、

場違いなところに来てしまった、

税金の無駄遣い(国立だから)、

自分には能がない(勉強できない)、なにもできない、、、等々

 

まるで自分に自信がない。

仕事なんてどうせ何もできないから

修了したら死のうと思ってた(割とガチ)

でもこの部屋で死んだら事故物件になって賠償金が

家族の負担になるから死ねない・・・みたいな毎日。

窓から青い空をぼーっと見ながら、車の音や人の声を聞いて、

みんなちゃんと生活していることにプレッシャーを感じた。

一人暮らしで親に援助もしてもらっておきながら

なんていう様なんだと自己嫌悪に陥る。ひきこもる。

ひきこもるけど、だれもたすけてくれない。(当たり前)

そんな毎日だった。

 

辛かったです。

気が向いたらつづく。

言葉が溜まりすぎた頭の中

 

もともと文章を書くのは上手じゃない。

上達させるためにはテクニックを

身につける必要があることはわかっている。

偶然このページにたどり着いた人に

気持ちよく、心地よく読んでもらうために、

工夫した方が良いことも、知っている。

 

だけど、それはしないことにした。

 

良い文章を学んでしまったら

良い文章しか出せなくなってしまうから。

私の文章は、私の文章。

良いところもあるけど、悪いところもある。

読みやすいときもあれば、

読みにくいときもある。

私のことばは、私の気持ち。

素人なんだから、それでいいじゃない。

 

言葉を綴ること、声に出すこと、話すこと。

それらは、自分の気持ちを誰かに伝えたい

という思いの現れであると同時に、

頭の中のもやもや、まだ言葉でないものを

言葉にする作業なんだと思う。

つまり、相手に対する作業であり、

自分に対する作業でもある。

 

もやもやを溜めすぎた頭の中から

できそうなところから少しずつ、

外に出してあげる。言葉にしてあげる。

そうして頭の中を整理して、

新しいもやもやのスペースを作る。

このブログで私がやりたいのは、そんなことかな。

 

 

ゆっくりぽつぽつと、

言葉を紡いでいきたいな。

٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

 

卵焼きの味

今週のお題「お弁当」

 

私は甘い卵焼きが苦手だったので、

いつも父親(私の家ではお弁当を

作るのは父親です)は2種類の卵焼きを

作ってくれていた。

 

甘くないほうの卵焼きには色々な

味付けと具があった。

だし巻き、醤油、にら、ほうれん草、

なめ茸、ネギ、しらす、チーズ……等々。

 

いつもいつも美味しかった。

卵焼きは毎日入っているものだから、

昼になると今日の卵焼きはなんだろうと

楽しみに思いながら

弁当箱を開けていた。

 

一人暮らしを始めてから、

父親の卵焼きを

食べることがなくなった。

実家に帰ったときにも食べない。

卵焼きは食卓には並ばないものだから。

卵焼きはお弁当のためのものだから。

少し悲しい気持ち、

そして懐かしい気持ち。

 

お弁当を毎日毎日作るのは

大変だなーと思います。

そして毎日違う味の卵焼きも。

親に感謝。

私はあなたの作ったお弁当でできている。

 

私も子供ができたらお弁当、

作るのかな。

そのときは卵焼きを作ってあげよう。

 

毎日、毎日、ね。